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EPISODE 01 ROOTS -あの日の分岐点-VIDEO PODCAST — TOKYO / JP

【メディアに作られた“聖人君子イメージ”が窮屈だった】乙武洋匡『五体不満足』誕生の裏側

ゲスト:作家 乙武洋匡氏

2026.08.22 / 29:58 / ホスト 亀井 智英

【メディアに作られた“聖人君子イメージ”が窮屈だった】乙武洋匡『五体不満足』誕生の裏側(YouTube) YouTube で見る ↗

SUMMARYこの回の要約

『ROOTS -あの日の分岐点-』第1回は、ネクストラボ代表の亀井 智英がホストを務め、ゲストの作家・乙武洋匡氏の原点を聞く回である。乙武氏は、幼少期から小学校・中学時代の育てられ方、「聖人君子」と見られた『五体不満足』後のイメージが窮屈だったこととSNSに救われた経験、文章が苦手だった中で目次づくりに半年かけて同書を書いた経緯、就職活動で文部省と民放アナウンサーを考えていたことを語っている。

CONTENTS目次

  1. 番組の趣旨と、亀井・アシスタントの自己紹介
  2. ゲスト登場と近況の雑談
  3. 乙武さんの紹介と、今回の4つのテーマ
  4. 【原点】乙武少年はどう育てられたか
  5. 価値観は固めない――作られたイメージとSNS
  6. 【出版】なぜ『五体不満足』を書いたのか
  7. 反響と、就職活動で考えていた進路

TRANSCRIPT文字起こし

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番組の趣旨と、亀井・アシスタントの自己紹介

亀井『ROOTS -あの日の分岐点-』。皆さんこんにちは、ネクストラボ亀井です。

平川心こんにちは。本日アシスタントを務めます平川心です。この番組は各業界の第一線で活躍されている方々をゲストにお迎えし、成功やキャリアだけでなく、その人がどんなことを考え、何を大切にしてきたのか、そんな一人ひとりのルーツを対話を通して紐解いていくビデオポッドキャスト番組です。ということで記念すべき第1回目となりますが、亀井さん、今の心境はいかがですか?

亀井ようやく始まりましたね。

平川心ようやく始まりました。本当にあっという間ですけれども、最初に亀井さん、普段どんなことをされているのか簡単に教えていただけますか?

亀井僕はネクストラボという会社をやっていまして、主にインターネットのサービスを展開しています。

平川心そうなんですね。普段からこういう発信活動などもされているんですか?

亀井発信は全くやっていなかったですね。個人的な発信はやっていなくて、自分たちのサービスを提供していく事業を行っていて、その中でAIだったり、あとEコマースの分野のサービスを提供している形です。

平川心そうなんですね。今後、亀井さんの回もございますので、ぜひ注目していただければと思います。私も簡単に自己紹介をしますと、今都内の大学に通う4年生でして、大学ではまちづくりのことなどを学んでいます。さあ、ということで亀井さん、この番組『ROOTS』を始めようと思ったきっかけはあるんですか?

亀井そうですね。元々この構想自体は結構長くあって、そこからどう形にしようかなと考えていたんですけど、今いろんなポッドキャストがある中で同じような形でやっても面白くないなと思ったので、その人の「分岐点」というところを、どういう形で自分の人生を歩んできたのか深掘りしたいなと思って、今回こういうテーマにしました。

ゲスト登場と近況の雑談

平川心気になりますよね。それでは早速ですが、今回第1回目のゲストをご紹介します。作家の乙武洋匡さんです。よろしくお願いします!

乙武洋匡よろしくお願いします。

亀井お願いします。

乙武洋匡亀ちゃん、すごいね。いやだって、よく始めたね(笑)。

亀井始めましたね(笑)。

乙武洋匡だって、表に出るのあんま好きじゃないでしょ?

亀井どっちかと言うと好きじゃないですね(笑)。

乙武洋匡いや、制作する側なら分かるけど、出る側をよくやったね。

亀井やりました。

乙武洋匡長年の友達なんですよ。もう10年以上だよね?

平川心10年以上!

乙武洋匡10年以上でよく知っているだけに、「よくこんなの始めたな」っていう。俺が始めた番組でゲストに亀ちゃんを呼ぶなら、まだ「オトちゃんとの付き合いだから出るか」って分かるんだけど、まさか亀ちゃんがMCの番組に俺が呼ばれるとは、1ミリも想像した世界線ではなかった(笑)。

亀井僕も想像してなかったです(笑)。

乙武洋匡大丈夫? やる気ある?

亀井やる気ありますよ!

乙武洋匡OK(笑)。何をいっぱい顔に貼ってるの?

亀井あ、これ?(笑)

乙武洋匡絶対、視聴者気になってるよ。「冒頭から何やってんだろう」って。

亀井ホクロをちょっと取りまして。口元にあったんで、髭剃りで毎回毎回流血することがあって。流血すると20分くらい血が止まらないんですよ。それもあってホクロを取ろうと思って、今回2回目なんですけど。それプラス、ちょっと食いしばりが激しすぎて歯医者に行ったら、「ここら辺にボトックスを打った方がいい」って言われて。ボトックスを打つ金額を聞いたら、ホクロを取りに韓国に行くので、そのタイミングでやっちゃった方が安いなと思って、最近やってきました。

乙武洋匡なるほど。じゃあホクロ取り手術後のダウンタイム中で、プチ整形したのと合わせて色々考えて(笑)。しかも最近、ほとんど東京にいないでしょ?

亀井いないですね。

乙武洋匡どこにいるの?

亀井中東にいます。

乙武洋匡中東!? 何で中東?

亀井中東は、ちょっと気象病(気象症)にかかってしまいまして、気圧があんまり変わらないところに居ようと思って選んだのが中東だったんです。

乙武洋匡中東ってあんまり気圧が変わらないの?

亀井雨が降らないので、周期で言うと気圧のアップダウンがあまりないんです。

乙武洋匡確かに。

亀井ただ、年に4回くらい雨が降るんで、その日は辛いです。

乙武洋匡その日は辛いんだ。

亀井その日は辛いのと、初めて行った時、3日目くらいに朝起きて頭が痛くて。「頭痛いのおかしいな」と思ってカーテンをパッと開けたら雨が降ってて(笑)。「これ何だよ」と友達にすぐメッセージして「雨降ってる」って言ったら、「半年ぶりの雨だね! やったね!」とか返信が来て。「いや、俺は雨から逃げてきてるんだけどな」みたいな(笑)。

乙武さんの紹介と、今回の4つのテーマ

平川心じゃあもう乙武さんに番組を回されてしまっていますけれども(笑)、簡単に乙武さんのご紹介をさせていただきますね。ご存知の方もいらっしゃると思うんですけれども、先天性四肢欠損という障害を抱えながら、早稲田大学在学中に出版した著書――私も読みました――『五体不満足』が大きな反響を呼び、ベストセラー作家になられました。その後はスポーツライターとして活動されていて、小学校教諭、東京都教育委員などを歴任。現在も幅広い分野で活動を続けていらっしゃいます。さて、今日はそんな乙武さんの人生を振り返りながら、今の生き方や価値観につながるルーツを紐解いていきたいと思います。先ほどからすごく仲の良い様子も伝わっているんですけど、亀井さんから見て乙武さんってどんな方なんですか?

亀井出会う前と出会った後で、全然イメージが違うんですよね。出会う前は「強い人」とか、本を書いてメディアに出ているというイメージがあったんですけど、実際に会うとすごく優しくて、すごく気を使ってくれる。あとすごく剽軽(ひょうきん)というか、自分のことを結構ピエロにして笑いを取ったりもする面白い人だなと思って。僕の周りにはそういった感じの人――そもそもオトちゃん自体が結構唯一無二な感じなので――全くいなかったっていうのもあって、そういうイメージですね。

平川心そんな乙武さんを深掘りしていくんですけど、今日何でも聞いて大丈夫ですか?

乙武洋匡はい、もちろん。

平川心じゃあNGなしということで、早速本題に入っていきたいと思います。今回、乙武さんの人生の中から、亀井さんが特に深掘りしたい分岐点をピックアップしました。それでは亀井さん、今回の「カメイズチョイス」の発表をお願いいたします!

乙武洋匡これ初めて知った(笑)。

亀井ちょっとこれ、この名前で行くのかどうかの議論をしたいんですけど(笑)。

乙武洋匡ちょっと笑っちゃってるじゃないですか(笑)。ちょっと馬鹿にしてるでしょ?

平川心馬鹿にしてないです(笑)。面白いお名前!

亀井いいですか? カメイズチョイスは、1. 原点:乙武少年はどのように育てられたか、2. 出版:なぜ『五体不満足』が書かれたか、3. 教育:なぜ教育者になったのか、4. 政治:なぜ政治の世界に進んだのか。今日はこの4つのテーマを中心に、乙武さんの今につながるルーツを紐解いていきたいと思います。

乙武洋匡結構堅めにやるのね(笑)。

亀井ちゃんとね、1回目なんで。

乙武洋匡ポッドキャストだから、もっと緩くやろうかと思ってたけど(笑)。

平川心はい、今棒読みっていう(笑)。

乙武洋匡ちょっと待って、棒読み(笑)。

亀井もうちょっとどういう風に言ったらいいんですか(笑)。

【原点】乙武少年はどう育てられたか

平川心これからどんどん頑張っていきましょう(笑)。それでは早速最初のテーマからじっくりお話をお伺いしたいと思います。「乙武少年はどう育てられたのか」。まず、どんなお子さんだったんですか?

乙武洋匡僕が一番幼少期で個人的にツボってるエピソードがあって。僕が生まれた時にはどう育つか1ミリも想像ができなかったから、両親としては「もしかしたら一生寝たきりかもしれない」と思っていたらしいんですよ。寝たきりじゃないにせよ、自分で稼いで自分で飯を食っていくという未来は、やっぱり想像していなかったみたいなんですよね。だから僕は生まれてすぐに僕名義の口座を作って、自分たちが死んだ後も僕がちょっとでも生きていけるように、毎月積み立ててくれていたらしいんですよ。でも幼稚園に上がって、車椅子の上から周りのお友達に威張り散らしている様子を見て、速攻で解約したらしいんですよね(笑)。っていう子どもでした。

亀井なるほど(笑)。

乙武洋匡はい。

亀井じゃあもう、元々生まれ持った感じの性格なんですね。

乙武洋匡なんでしょうね。今度はそういう鼻持ちならないまま小学校に上がりました。僕の場合、養護学校ではなくて、重度の障害にしては当時としては異例中の異例で、地元のいわゆる普通教育(普通学級)を受けることになったんですね。ただ1個だけ条件があって、「朝、家を出て登校する時から授業中も、家に帰る時までずっと親御さんが付き添う」ということが条件だったんですよ。だから母は幸か不幸か、ずっと学校生活を朝から夕方までつぶさに見えちゃうわけですよ。で、僕が相変わらず威張り散らしているところを見るわけです。そこで夫婦会議が開かれたらしくて。「ちょっといくらなんでもあれは酷いと思う。これはやっぱり親がガツンと言って、鼻っ柱の強さをポキッと折ってあげる必要があるんじゃないか」と。一方、「あの子はあの体・障害で社会を生きていかなきゃいけないわけで、あれぐらいの強さは必要なのかもしれない。どうしようか」って話し合ったらしいんですよ。で、よくよく話し合った結果、「そのまま行こう」ってことになり、このまま来ました(笑)。

亀井つまり、通帳を解約され、「このまま行こう」と判断され、今に至るという感じですかね(笑)。

乙武洋匡(笑)

亀井ちょっと聞いてみたいのは、新宿出身じゃないですか。その当時、新宿って今みたいに平和な感じの街ではなくて、もうちょっと荒れていた気がするんですけど。

乙武洋匡でもね、15歳までは世田谷だったんです。

亀井世田谷だったんですね。なるほど。

乙武洋匡世田谷の用賀は割と落ち着いた街だったので、楽しく暮らしてまいりました。

亀井じゃあ、いじめられることはなく、むしろいじめるというか……。

乙武洋匡いじめまではしたか分からないですけど、クラスの学級委員っぽい立ち位置でずっと生きてきましたね。

平川心学級委員だったんですか?

乙武洋匡なんちゃら委員とか、6年生の時は学校全体の副委員長とか、そういう役回りでしたね。

平川心そこまでになれるくらい、周りの友達からも支持されていたというか、人気者だったんですね。

乙武洋匡支持されていたんだか、勝手にやりたいって言ってたのか分からないですけど(笑)。

亀井本に書いてあった、プールに入ったりとかもしていたじゃないですか。今だと多分考えられないと思うんですよ。周りの状況ってどんな感じだったんですか?

乙武洋匡周りの子どもたちは比べる対象を知らないから、僕があまりにクラスの中で普通に振る舞っていたことによって、例えば遠足の登山であったり、プールだったらプールに一緒に入ることも、周りの友達はあんまり不思議に思っていない。「一緒にやるの当然でしょ」みたいな感覚。

亀井じゃあ、もし「オトちゃんだけ特別だから配慮する」みたいになると、「なんで?」ってなる。

乙武洋匡そうそうそう。だから小学校4年生の時かな、遠足が山登りで。「さすがに車椅子で山登りは難しいでしょう」っていう母と担任の先生の判断により、「さすがに行かない」ってなったんですよ。それをクラスで発表したら大ブーイングで。「オトちゃんだけずるいよ!」みたいな。「みんな大変な思いして登山するのに、一緒に行くでしょ」っていう感じで判断が覆って。「僕たちみんなで引っ張ったりするからオトちゃんも一緒に行こう」ってなって、結局一緒に行くことになりました。大変になるのはみんななんですけどね(笑)。

平川心それ、結局頂上まで?

乙武洋匡行きました、行きました。

平川心すごい! 普段の学校生活も電動車椅子に乗ってという感じだったんですか?

乙武洋匡小学校は担任の先生がすごい厳しい先生で、家から学校までの行き帰りは車椅子だったんですけど、校内(学校の中)では乗っちゃいけないっていうことで、全部自分の足で歩かされていたので。それで結構体力と根性はついたかもしれないですね。

平川心そんな小学校時代を経て、中学時代・高校時代ってどんな感じだったんですか?

乙武洋匡これもなんか僕バスケ部だったんですけど、あんまりこの体でバスケ部に入って何しようとか考えずに、小学校の時から仲の良かった友達がみんなバスケ部に入ったから、「じゃあバスケ部でいっか」みたいな気持ちで入って。入ってから「そういえば俺、何するんだろう」って気付くような、ちょっと頭が悪かったのかもしれないノリで(笑)。で、結局みんなが練習している時に、僕は車椅子から降りて地べたにペチョっと座って。僕は左利きなんですけど、この短い左腕でダムダムダムダムずっとドリブルの練習をしていたら、なんとなく結構突けるようになってきて。そうしたら急に顧問の先生が「乙武、お前右でも練習しろ。左から敵が来たらどうするんだ?」って。「敵!? 何言ってんだこの人は」と思ったんですけど、「右でも同じくらいの精度で突けるようになったら、どっちから相手選手が来てもかわせるから試合出してやる」って言われて。「頭おかしいのかな」と思ったんですけど(笑)、でも言っていただいたんで頑張って練習しようと思って。数ヶ月かけて練習したら同じように突けるようになって、本当に先生が試合に出してくださったんです。バスケ部の試合も出てたりとか、なんか面白い中学時代でしたね。

平川心私もバスケットボールをやってたんですけど、低い位置でドリブルされたらボールを取れないです。

乙武洋匡そうなんですよね。僕が床に降りてドリブルすると、どうしても相手の膝よりも低い位置になるんで、これは結構ボールを取りにくいみたいですね。

平川心とりあえずなんとか、バスケもそうですけど「挑戦してみる」みたいな姿勢はどこから湧き上がってきていたんですか?

乙武洋匡何か挑戦したいというよりは、「やりたいか、やりたくないか」が先にあって、「できそうか、できなさそうか」が後回しなんですよね。やりたくないことを挑戦したいとも思わないから、やりたいと思ったら、できそうかどうか分からずにもうやり始めちゃうタイプなんです。「石橋を叩いて渡る」っていう言葉があるじゃないですか。それで言うと、石橋が架かっているかどうかも確認しないまま渡り始めちゃうタイプの人間なんで(笑)。

価値観は固めない――作られたイメージとSNS

平川心どうですか亀井さん、中学時代のお話を聞いて。どんな感じでした? 私、すごいなって思っちゃって。

亀井元々自信が強かったっていうところもあったと思うんですけど、あとはその価値観がどういう風に形成されていったのかがすごい気になっていて。ご両親の話や、友達が対等に接していたという話もありましたけど、その価値観がどこから固まっていったのか。生まれ持ったものが強すぎるのかもしれないですけど、今の話の中でまだ見えなかった部分なので、もし何か分かると嬉しいなと思ったんです。

乙武洋匡なんだろうなあ。最初からある程度固まっていたと言えば固まってたのかもしれないし、50歳近くなった今も固まっていないと言えば固まっていないのかもしれないし。だからそれで言うと、急にかっこつけた聞こえ方になっちゃうかもしれないけど、「今でも価値観を固めたくないな」という気持ちの方が強いかな。やっぱり僕らももうだいぶいい歳になってきて、価値観が固まると老害になりかねないし。なるべく若い人と話をしたり、いろんなことにキャッチアップしていくことで、自分の価値観も揺らし続けながら……まあ軸になる部分はそうそう変わらないとは思うけれど、「絶対に変えないぞ」というこだわりは捨てて、なるべく新しいものを取り入れていきたい、追いついていきたいっていうのは忘れないようにしたいなと思っていますね。

亀井あと『五体不満足』の本に関して、僕はリアルタイムで見ていた世代なので、すごく衝撃を受けて。そのままのイメージで「オトちゃんはすごい人なんだ」って、聖人君子的な感じで思っている人が今まで周りに多かったと思うんです。今回お会いするにあたって少し調べたら、他のメディアでも出ていたんですけど、10年以上前に女性と一緒にレストランに行こうとしてオトちゃんがキレてたみたいな話が出ていて。「あ、結構こういう人間っぽいところもあるんだな」と思って。僕らは本やメディアのきちんとしたイメージしか見ていないので、友達として会うとまた違う一面が見えるよなと感じたんです。

乙武洋匡僕は本当にSNSに救われた人間だなと思っていて。『五体不満足』が出版された後、本当にテレビや雑誌、新聞などたくさん取り上げていただきましたけど、僕はやっぱり亀ちゃんがよく知っているように聖人君子なんかではないので、そういう作られたイメージが窮屈で、嘘くさくて本当にしんどかったんですよ。だから取材を受けるたびに、ちょっとあえて露悪的に振る舞って、「そんな良い子じゃないですよ」っていうのを過剰に言ったりしても、結局編集された番組を見たら全部カットされているし、雑誌の記事でもカットされている。それが何年も続いたことで、「ああ、もうありのままは求められていないんだな。みんなが求めている『乙武像』でしか取り扱ってもらえないんだな」というフラストレーションがずっと溜まっている中で、2010年かな、当時のTwitterと出会って、「おお、これいいね! 編集権は俺にあるんだ」と思えたのは、やっぱりめちゃくちゃ楽になりましたね。

【出版】なぜ『五体不満足』を書いたのか

平川心「固めない」というのがキーワードかもしれないですね、価値観も含めて。ここまで乙武少年がどう育てられたのかについてお話を伺ってきましたが、ここからは「なぜ『五体不満足』を書いたのか」についてじっくりお伺いしたいと思います。『五体不満足』は大学時代に書かれたんですよね?

乙武洋匡そうです。大学3年生の時に出版されたので、書き始めたのは2年生の時ですかね。

平川心私、実際に拝見したんですけど、大学2年生であんな文章書けないって思いました。

乙武洋匡僕も正直、最初に声をかけていただいてから3回くらい断り続けているんですよ。というのも、僕本当に文章を書くのが元々苦手で。どうしても早稲田に行きたかったので文系学部はほとんど全部受けているのに、あの文学部だけは入試に小論文があるから「絶対無理!」と思って受けることすらしなかったくらい、文章を書くのが苦手だったんです。だから本を書きませんかという依頼が来た時も、「小論ですら避けてきた人間が本丸々1冊書くなんて絶対無理」と思って断ってたんですけど。でもやっぱり最終的には、障害者は「かわいそうな人」「不幸な人」という当時のステレオタイプな価値観に対して、「いやいや、俺は楽しく生きてるし、全然不幸な人間じゃないよ。そういう人間もいますよ」っていうのをアンチテーゼ的に出したくて。「じゃあ頑張って書いてみるかな」となったのが一番最初のきっかけですかね。

亀井これ、ご自身で全部書かれたんですか?

乙武洋匡自分で書きました、一字一句。ただ、目次を作るのに半年かけました。編集者の方が、僕が文章をまともに書いたことがないというのをすごく理解してくださって、「じゃあとにかく項目を一緒に作りましょう」と。小さい頃から生まれて今までのエピソードを全部洗い出して、編集者の方が「じゃあそれをこういう章立てで、こういう項目立てで書いていくのはどうでしょうか」と、それこそ今で言う“壁打ち”をしながら一緒に目次を作っていって、それに半年かけたのね。それだけお互い完成像をイメージしながら半年もかけて目次を作ったので、それさえできちゃうと割とあとは文章として肉付けしていくだけだったので、スムーズに書けましたね。

平川心すごくスルスル読みやすかったんですが、何か意識されたこととかあるんですか?

乙武洋匡めちゃめちゃ意識しました。というのも、僕はその2、3年前に大学受験を終えたばかりで、いわゆる難解な長い文章を現代文で読まされていたわけですよ。もう読みながら腹立ってて、「こいつは頭がいいのか悪いのか知らないけれど、伝えたいことがあるなら何でこんな小難しい文章を書くんだろう」ってずっとやっぱ思ってたわけだから。いざ自分が文章を書くという時に、「俺は文章が苦手な人でも読みやすい、分かりやすい文章を書こう」っていうのは結構意識していたので、一文書くごとに頭の中で朗読してリズムがいいかを確認していたのね。それもあって、誰が調べたんだか、少年院の中で読まれている本ランキングで1位になったらしくて。

平川心へえ、そうなんだ!

乙武洋匡少年院に入っている子たちって、普段あんまり長い本1冊読んだことがないっていう子たちなのに、出てきた後に――少年だから“お勤め”とは言わないのかな(笑)――街で信号待ちとかしていると、「乙武さん! 俺、読めましたよ! 人生で一番最初に読めた本、乙武さんの本っすよ。親が差し入れで送ってきて」みたいなことをよく言われますね。ありがたいですけどね。

反響と、就職活動で考えていた進路

平川心当時の反響ってどんな感じだったんですか?

乙武洋匡すごかったですよ。新宿の紀伊國屋書店、あの1階はもうフロア全部が『五体不満足』の売り場だった。

平川心え、1階全部が!? 本当ですか、すごい!

乙武洋匡当時の記録で歴代4位のベストセラーなんですけど。今は分からないですけどね。今って1回重版がかかると2,000部とか、1万部重版されたら「すごい!」って世界なんですけど、当時の日本記録で1回の重版で50万部。「日本にそんな紙の在庫あるの?」みたいなぐらいのフィーバーだったので、大変でした。

平川心亀井さんも当時読まれていたんですよね?

亀井読みました、読みました。

平川心どうでした?

亀井なんだろうな、言葉に結構困るんですけど、一目惚れした時の撃ち抜かれた感覚がありましたね。周りにそういう発信をしている人がいなかったですし、そもそもあの表紙がキャッチーで。読んでみるとポジティブなバイブスやパンチラインがめちゃめちゃ溢れていて、「どうしたらこんな風になれるんだろう」と。障害者という見方がガラッと変わりました。それもあってオトちゃんの人生自体もだいぶ変わったと思うんですけど、ご本人はどう変わったのか聞いてみたいです。

乙武洋匡確かにそうね。だからさっきもちょっと言ったように、「いや、俺そんな良い人間じゃないのに」っていう、メディアや読者が作り出した聖人君子的なきちっとした乙武像が、とにかく窮屈で面倒くさかったというのと。僕自身、別に読んでいただいたら分かるように当時福祉のことがやりたくてあの本を書いたわけではないのに、ちょうど就活の時期だったこともあって、読者から「福祉の道で頑張ってください」「バリアフリーの旗頭として応援してます」みたいな声がいっぱい届いて。「いや、別に俺そういうのがやりたくて本を書いたわけじゃないんだけどな」という違和感は結構ありましたね。

亀井就活しようとしていたの?

乙武洋匡そう、就活してた。2個考えていて、1つは当時の文部省(現・文部科学省)を受けようと思ってた。やっぱり教育のことはやりたかったから。もう1つは、民放のアナウンサーを目指していました。当時は障害のある人がテレビに出るといったら、『24時間テレビ』か、たまにあるお涙頂戴のドキュメンタリー。この2択だったんですよ。まだパラリンピックとかほとんどの日本人が知らない時代だったんで。そうすると「障害者=お涙頂戴」という固定観念がバリバリつくじゃないですか。僕はみんながそう思い込んでいるところに「いやいや、そうばっかりじゃないよ」と言いたくなる性格なんですよね。だから日常的に車椅子の人がテレビに出るようになれば皆さんの感覚も変わるんじゃないかと。じゃあ日常的にテレビに出る仕事は何だろうと考えた時に、「アナウンサーだったら自分は喋りも得意だしいいんじゃないか」と。毎日7時になって車椅子のキャスターがパーッと入ってきて、ニュースを読んだりお天気予報を読んだりスポーツのことを喋ったりしたら面白い時代になるぞ、と思って。だから大学3年で本が出るまでは、国家公務員一種(当時『国I』と呼んでいた試験)を受けて文部省に行くか、民放アナウンサーになるかを考えていました。

平川心実際、そんな世界も見てみたかったですけれども。

乙武洋匡でも蓋を開けてみたら、どっちにもならなかったけれど、どっちもやれているからいいのかなと思っていて。小学校の教員もやったり、東京都の教育委員も務めて教育のこともやれていますし、障害者ネタじゃないことでも、例えば松本人志さんがずっとやられていた『ワイドナショー』とかにも毎月のように呼んでいただいて、福祉でも障害者でもないニュースについて喋る仕事もできたので、結果として両方できた人生だったのかなと思っています。

平川心ということで、今回はここまでです。次回も引き続き、乙武洋匡さんの生き方や今の価値観につながるルーツを紐解いていきたいと思います。それではまた次回お会いしましょう!

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