【あの時に戻れるなら◯◯に戻りたい】乙武洋匡が選んだ“人生の分岐点”
ゲスト:作家 乙武洋匡氏
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SUMMARYこの回の要約
ビデオポッドキャスト『ROOTS -あの日の分岐点-』第2回で、ホストの亀井 智英(株式会社ネクストラボ代表)が、作家の乙武洋匡氏に、なぜ教育者になり、さらに政治を志したのかを聞いた。乙武氏は、12歳の少年少女による事件をきっかけに「恩送り」として教育を志し、29歳で教員免許を取って杉並区の小学校で3年間教えたあと、東京都教育委員を経て政治へ向かった経緯と、教育観を語った。最後の「人生で戻れるならどこか」という問いには、大学のころに諦めた海外への留学を挙げた。
CONTENTS目次
TRANSCRIPT文字起こし
動画の音声から起こし、読みやすいよう言いよどみを省いています。正確な発言は動画でご確認ください。
番組紹介と、教育者を志したきっかけ
亀井『ROOTS -あの日の分岐点-』。皆さんこんにちは、ネクストラボの亀井です。
平川心こんにちは。本日アシスタントを務めます平川心です。この番組は各業界の第一線で活躍されている方々をゲストにお迎えし、成功やキャリアだけでなく、その人がどんなことを考え、何を大切にしてきたのか、そんな一人ひとりのルーツを対話を通して紐解いていくビデオポッドキャスト番組です。今回も前回に引き続き、作家の乙武洋匡さんの生き方や今の価値観につながるルーツを紐解いていきたいと思います。ここからは、「なぜ教育者になったのか」についてじっくりお話を伺いたいと思います。『五体不満足』の後に教育者になられたんですか?
乙武洋匡はい。『五体不満足』の後、スポーツライターを7年やっていたんですけど、その途中に長崎県で当時4歳の男の子が何者かに連れ去られ、近所の立体駐車場の屋上で衣服を剥ぎ取られて突き落とされて殺害されるという、すごく残酷な事件があって。その犯人が当時12歳の中学1年生の男の子だったんですよね。で、翌年には同じ12歳の、今度は小学校6年生の女の子がカッターナイフでクラスメートを切り殺すという事件が起こったんですよ。12歳という少年少女が命を奪う側に回るという凶行が相次いだことで、マスコミは「最近の子どもたちはどうなってしまっているんだ」という論調で色々語っていたんですけど、僕はちょっと違う見方をしていて。人間、オギャーと生まれた時に「犯罪者になってやろう」とか、ましてや「人殺しになってやろう」なんて思って生まれてくる子は一人もいないわけで、それが12年という短い年月の中で、そういった事件を起こさざるを得ないほど彼ら彼女らも苦しいところに追い込まれてしまったんじゃないのかな、と。でも、どこかで「今、自分はしんどいんだ」「孤独なんだ」というSOSのサインは出してくれていたはずで、周りの大人がそのサインに気づいてあげて軌道修正してあげることができていれば、その子たちもそんな事件を起こさなくて済んだんじゃないか。命を奪われた側の子も、その命を奪われずに済んだんじゃないかって僕は思ったんですよね。そう考えると、周りの大人たちの責任や影響ってめちゃくちゃ大きいなと思ったんです。それで言うと、僕はこの体で生まれてきて、正直「人生オワタ」みたいな状態で生まれてきているのに、両親の子育てだったり、学校の先生方のご指導だったり、周りの大人によってある意味生かされてきたというか、うまくやってこられているので、そこに対する感謝の気持ちというのは当時から強くあったんですよ。とはいえ、その恩を受けた方々に恩を返していくのも大事なんだけれども、もっと社会の流れって大きいから、恩返しというよりは「次の世代への恩送り」をしていくことが大事なんじゃないのかな、と。じゃあ僕が大人として、今度は子どもたちのために何ができるかと考えた時に、「教育だな」ってなったんですよね。
教員免許の取得と小学校教員時代
平川心実際、教育にはどういった形で関わっていたんですか? 教員なのか、それとも教育委員会とかなのか……。
乙武洋匡最初はそれこそライターとして取材をしたり、テレビ番組で取材をして発言をするということが相次いでいたんですけど、ある時、直木賞作家の重松清さんと対談することがあって。その時に「乙武くんが教育のことを色々発信してくれているのはすごくありがたいし、心強い。でもね、いつか壁にぶち当たる時が来ると思うんだよね」「それ何ですか、壁って?」「教育界の人たちってさ、意外にやっぱり頭が固い。実際、僕も子どもや学校をモチーフにした小説をいっぱい書いているけれど、『あいつに教育の何が分かるんだ。だいたい教員免許を持ってるのか』って結構言われることがあるんだよね。でも実は僕、持ってるんだよね(笑)。で、『持ってます』って言うと急に相手は黙っちゃう。くだらないでしょ? くだらないけれど、結構そういうことが多いんだよね」って言われたんですよ。くだらないなとは思ったんですけど、自分がいくらくだらないと思っていても、教育界の中の人たちが「ああ、なんかまた門の外でお客さんが騒いでるね」としか思ってくれないなら、これはあんまり意味がないなと。やっぱり教育界の一員だときちんと認めてもらう、いわゆる“門の中”に入っていくことは大事なんじゃないのかなということで、「だったら教員免許を取ってやろうじゃないか」と思って、29歳の時に2度目の大学生活を送り始めて、教員免許を2年間かけて取ったんです(笑)。
亀井社会人になってから取ったんだ。
乙武洋匡そう、29歳でもう一回大学に通って。
平川心実際、学校の先生をやられたってことですか?
乙武洋匡やりました。教育実習も……
亀井そうか、そういう写真とかも見てたな。
乙武洋匡実習もやって、31歳から34歳まで3年間、杉並区の高円寺で小学校の教員をやっていました。
平川心実際、子どもたちの反応はどうでしたか?
乙武洋匡子どもたちの方が、手足がないという体への驚きはあるけれど順応性も早いんですよね。「何で手足ないの?」「いや、分かんないんだけど生まれた時からこの形だったんだよね」「ふーん」みたいな(笑)。それくらいで受け入れてくれるんですけど、お母様方の方が「え、あの乙武さんが先生としてうちの学校に来るの?」って身構えちゃうんじゃないかと思って、それが一番不安だったんですよ。ところが実際になってみると、保護者ってやっぱり自分たちの子どもが本当に大事だから、「著名人がうちの学校にやってくる」というミーハーな目線ではなくて、「うちの子の担任としてどうなの? ちゃんとできるの?」というシビアな目で見てくださった。それが結果的には一番嬉しかったですね。一人の先生として見てくださって。
教員経験で学んだこと
平川心その経験を通して、乙武さん自身が学ばれたことや気づいたことはありますか?
乙武洋匡すごく悔しいことでしたけど、学校の教員をやって一番学ばされたのは、「子どもたちにとって一番大事なのは家庭だな」ということでしたね。やっぱり、いくら教師が頑張って子どもたちに働きかけをしたとしても……例えば、ある子が急にある日を境に忘れ物が多くなったり、友達に対してすごく乱暴な言動が増えたりしたことがあったんですよ。「どうしたのかな」と思って色々話を聞いていったら、今までは家に帰れば「おかえり」と出迎えてくれていたお母さんが、おじいちゃんが入院しちゃったことによって毎日病院に行っているから、家に帰っても誰もいない状態になっていたんです。大人から見たら「えっ、それだけで?」と思うことかもしれないけれど、子どもにとってみたら大きく精神のバランスを崩して、忘れ物が増えたり友達に乱暴な態度を取ったりしてしまうんですよね。そういう例をいくつか見ているうちに、「教師は教師でもちろん頑張るんだけれども、いくら教師が頑張ったところで子どもにとっての最大の安全基地、一番大事な環境は家庭なんだな」というのは、教師をやったことで逆に学べたことですね。
平川心それを経て、改めて「良い教育ってどんな教育なんだろう」と思ったことはありましたか?
乙武洋匡「結果を急がない、求めない」ことかな。自分の指導が功を奏して、目の前で子どもができなかったことができるようになったり――「変容」って言い方をするんですけど――その変わった姿を見られたら、教師としてはやっぱり嬉しいし楽しいんですよ。でもそれって、自分が楽しいっていうエゴでしかなくて。子どもにとっては、その先生は1年間しか担任しないかもしれないのに、大人の都合で「早く結果を出さなきゃいけない」って押し付けることになってしまうじゃないですか。でも僕らも子どもの頃を振り返ってみてそうだと思うんですけど、「そういえばあの時、先生にあんなこと言われたな」って、大人になってから思い出したり、何かの困難に直面した時にふと思い出したりすることってあると思うんですよね。だから僕は、自分の手元にいる時だけ目に見える変化が生まれることを求めるんじゃなくて、「自分の役目は種を植えて水をやるぐらいまでで良くて、その先、自分の手元を離れた時に花が咲けばいい」と思っていました。僕は3・4年生を担任していたんですけど、5・6年生になった時、もしくは中学生の時、あるいは大人になった時に、僕がやった水によって花が咲くかもしれないし、実がなるかもしれない。もっと言えば、最後まで花は咲かないかもしれないし、実はならないかもしれない。それくらいの気持ちで見守ることが大事かなと思っていましたね。
亀井今「3・4年生を担当していた」という話だったんですけど、これがもうちょっと年齢が上のクラスだったりすると、また変わってくるものなんですか?
乙武洋匡変わってくると思います。一応、小学校の世界で言われているのは、「3・4年生は担任としての技量は一番高くなくても大丈夫」と言われているんですよ。1・2年生は規律というものをまだ知らないので、「集団行動ってこうだよ」という、いわゆるディシプリン(規律・しつけ)を身につけさせなきゃいけないから、特に1年生の担任ってすごく技量が必要なんです。5・6年生は行事も増えて、卒業に向けて活動も活発になるので結構大変。3・4年生は逆に言うといかにのびのびさせてあげられるかという時期なので、経験が浅くても比較的務めやすい学年とは一般的に言われていますね。
亀井中村先生っているじゃないですか。中村先生の動画を見ていたら、「10歳から12歳で急激に親離れしていくから、学校や家以外の活動が増えていく」と。そうなると家庭の時間よりも学校やお友達と過ごす時間が増えて、そっちの影響が大きくなるのかなという気がするんですけど。
乙武洋匡5・6年生はまさにそうですね。4年生の夏休み明け、9月くらいからその傾向が結構強くなってきます。
任期付き教員から東京都教育委員へ
平川心乙武先生みたいな先生がいたら良かったなと個人的に思うんですけど、3年間しか教員はされなかったんですか?
乙武洋匡元々3年契約だったんですよ。
亀井あ、そうだったんだ。
乙武洋匡というのも、教員免許を取得しても、公立校の教員になるには各都道府県が実施している教員採用試験を受けなきゃいけないんです。当時、東京都の採用試験は実技で「ピアノ」と「水泳」があったんですよ。「終わったわ」と思って(笑)。「ピアノと水泳!? もうこれ無理だな」と途方に暮れていたら、当時、杉並区が独自の予算で教員を養成し、都が配置した正規教員にプラスアルファで「加配(かはい)」するという独自制度を作っていたんです。杉並区が「どうやら乙武が教員免許を取ったけれど、採用試験が受けられなくて困っているらしい」という情報を耳にして、「だったらうちの制度を使って杉並区の教員になりませんか? その代わり3年間の任期付きですよ」と声をかけてくださって、3年間務めさせていただきました。
平川心その後は何をされていたんですか?
乙武洋匡東京都の教育委員ですね。引き続き教育に携わる仕事をやっていました。教員としては、23人担任していた子どもたちや保護者の方々とすごく良い関係が築けて、自分の思い描く教育が100%に近い形でできたという悔いのない3年間を送れたんですけど、一方で「学校の風土を一つも変えられなかったな」という思いもあって。それは僕自身の力不足もありましたし、一教師というポジションはミクロの世界の話なので、もしまた教育に携われるなら、もうちょっとマクロな立場で関わりたいなと思っていたところに東京都教育委員のお話をいただいたので、ちょうどいいなと思って引き受けさせていただきました。
亀井3年間の任期付き教員だったんだね。学校全体を変えるとなると、なかなか難しいよね。
乙武洋匡そうですね、学校全体となると。
政治を志した理由
平川心この教育委員会の後、政治の道にも進まれましたけれど、そこでも教育の課題に取り組まれていたんですか?
乙武洋匡はい。政治を志した理由の一つが、やっぱり教育のことが結構大きくて。さっきもお話ししたように、東京都の教育委員になって「これで教育政策に携われるぞ」と思ったんですけど、教育委員って立て付けとしては、東京都の教育に関する最高意思決定機関の一員なので、ポジションとしてはすごく良いんですよ。ところが実際蓋を開けてみると、教育政策を企画立案してくださるのは「教育委員会事務局(教育庁)」という、都の教員と東京都の職員のハイブリッド型の組織に属する方々なんです。我々は提出されたそれを見て軌道修正する係だったり、会議の3分の1から半分くらいはその間に起こった教員の不祥事について処分の重さを決めるということが仕事の多くを占めてしまって。「いや、俺は別にこの先生が減給になるか停職になるかを決めたくて教育委員をやっているんじゃないんだよな」と思ってしまって。政策そのものを動かしたいとなると、むしろこの教育委員会事務局に入らなきゃいけない。それにはどうしたらいいか。都の職員になるのか。でも職員になったところで希望の部署に行けるか分からない。「水道局に行ってください」と言われる可能性もある。そう考えた時に、「政策を動かすなら政治なのかな」と思ったのが1つのきっかけでしたね。
平川心政治という選択肢を意識した背景には、やっぱり人生の大きなテーマとして教育があったからなんですね。
乙武洋匡そうですね。教育が1つあります。もう1つは、やっぱり教員をやったことや、ちょうどその頃に出会った友人たちのおかげで、世の中のマイノリティと呼ばれる存在により目が向くようになったことです。僕の場合は障害者という、数の上で言えば少ない側の境遇をずっと歩んできて、社会全体が手足のある人向けに作られているから不便なことが多いと思って生きてきたんです。でも、教員をやったりその頃出会った友人たちを通じて、同じような理由で困っている人がいっぱいいるんだなと。LGBT当事者の方々が「同性同士だから法律上の結婚という選択肢が用意されていない」という現実や、障害以外でも少数派であるがゆえにめちゃくちゃ不利益を被っている人が結構いるんだなというのを、その頃すごく感じるようになったんですよね。「それってめっちゃ不公平じゃない?」と。自分がこの境遇がいいと選んだわけでもないのに、たまたま人生のルーレットで引いた境遇によって、「あなたはお金持ちの子に生まれたのでめちゃ有利な人生です」「あなたはゲイに生まれたので一生結婚できません」みたいに、生まれた時に引いたくじによって有利・不利や選択肢の数があまりに違いすぎる社会だなと思って。「この社会のままでいいんだっけ?」というところが大きかったですね。さっき言った教育に携わりたいというのが1つと、もう1つは「境遇による有利・不利をなるべく小さくしたい。みんながなるべく同じスタートラインから『せーの』で勝負できる社会にしたい」という思いが、自分の中で強くありました。
亀井との出会い
平川心亀井さんと出会ったのは、政治の世界に足を踏み入れる前ですか?
亀井前ですね。2014年くらい。
乙武洋匡12年くらい前かな。
亀井そうですね。夜の飲み会にオトちゃんもいて、そこで初めてお会いしたんです。
乙武洋匡多分、人から見ると亀ちゃんと僕って性格が全然違うのよ。でも僕にとってはめちゃくちゃ居心地の良い人で。200何十人の合宿形式のカンファレンスがあって、夜はすごいワッショイな飲み会になるのよ。僕は頑張っても30分くらいしかその場にいられないし、亀ちゃんも30分といられない人なので、僕が疲れて「夕涼みに行こう」と思って行くと、大体亀ちゃんが一人で黄昏れているんです。「亀ちゃん!」って声をかけて、大体夜は一緒にいるという。僕にとってはすごく居心地の良い人ですね。
平川心逆に亀井さんから見てどうですか?
亀井オトちゃん……この話していいのか分からないですけど(笑)、その時、経営者の人とか文化人の人とかが集まっていて、確かあの時のセッションのテーマが「タブーをぶっ壊せ」だったと思うんですよね。みんな初めて参加する人が多くて、「どう進むんだろう」「誰が最初にタブーをぶっ壊すんだ?」ってもじもじしていたら、オトちゃんが「じゃあ先発、僕行きます!」みたいな感じで手を挙げて。
乙武洋匡アンダーフォーティー(U-40)の時ね(笑)。
亀井その時に、当時ちょっと世間を賑わせたような話題について、オトちゃんが話してくれたんですよ。世間にその話題が出てきた時は、僕らは事前に知っていたというか本人から聞いていたんですけど、オブラートに包んだ伝聞調で「こういう話があるらしいよ」って話してくれて。でも話しているのがオトちゃんだし、内容がかなり細かいので「完全に本人の話じゃん!」と思いつつ(笑)。そこでみんながタブー破りを勘違いし始めて、変なタブーを壊し合って(笑)。
乙武洋匡おかげで仲良くなったよね(笑)。
亀井そうそう(笑)。
人生を振り返って、戻りたい分岐点
平川心あっという間にお時間となってしまいました。乙武さん、今日ここまでお話を伺ってきましたけれども、改めてご自身の人生を振り返ってみていかがでしたか?
乙武洋匡50年も生きてきて「お前何言ってんだ」と思われるかもしれませんが、僕の中では50年かけても「まだ何も成し遂げられてないな」という気持ちなんですよ。そろそろ初老というか良いおじさんではあるんですけど、残りの人生の中では今が一番若いという気持ちで、「まだまだ半分くらい残っている、折り返し地点だな」という感覚でいますね。
平川心ちゃんとホクロ取りとかもして、若々しく(笑)。
亀井若く、若くね(笑)。
乙武洋匡馬鹿にしてるだろ(笑)。
亀井してない、してない(笑)。いいクリニック紹介しますよ。
平川心若々しくいきましょう(笑)。それでは亀井さん、ルーツを聞いちゃいますか?
亀井そうですね。もし自分の人生であの時に戻れるとしたら、今なら別の選択肢を選んでみたいという「人生の分岐点・岐路」はどこですか?
乙武洋匡なんだろうなあ……それって当時の記憶を持ったまま戻れるの?
亀井記憶は……そこはちょっとどうするか考えてなかったな(笑)。
乙武洋匡記憶を持って戻れるなら、大学時代かな。
亀井あ、そこまで戻るんだ!
乙武洋匡うん。当時、ダスキンが障害者を海外に派遣・留学させる事業(海外研修派遣事業)をやっていたのよ。でも当時は「さすがに自分でトイレに行けない人間が海外留学なんて無理だな」と思って諦めちゃったんだけど、「もしあの時アメリカに行っていたらどう変わっていたんだろう」って思うことはある。そしたら多分本(『五体不満足』)も書いていないだろうし、海外でそのまま暮らしていたかもしれない。一番人生の岐路としては大きく変わっていたかもね。
平川心お話を伺っていて個人的に思ったのが、乙武さんは「決めつけないこと、固まらないこと」を大切にされているので、分岐点も過去の確定した点としてあるというより、常に更新され続けているのかなと感じました。
乙武洋匡そうかもしれないですね。だから5年後にこの質問をされたら、また全然違うことを言っているかもしれないですしね。
平川心確かに! 亀井さん、質問は満足できましたか?
亀井いや、まだまだ聞きたいことはたくさんあるので、あと何回か来てもらって(笑)。
平川心レギュラーになっていただいて(笑)。ということで、今回のゲストは乙武洋匡さんでした。ありがとうございました!
乙武洋匡ありがとうございました!
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