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オープニングと、カメイズチョイス2「なぜバナー広告でヒットを連発できたのか」
亀井『ROOTS -あの日の分岐点-』。こんにちは、ネクストラボの亀井です。
平川心こんにちは。本日アシスタントを務めます平川心です。この番組は各業界の第一線で活躍されている方々をゲストにお迎えし、成功やキャリアだけでなく、その人がどんなことを考え、何を大切にしてきたのか、そんな一人ひとりのルーツを対話を通して紐解いていくビデオポッドキャスト番組です。今回も前回に引き続き、PARTY 取締役、クリエイティブディレクターの中村洋基さんの生き方や今の価値観につながるルーツを紐解いていきたいと思います。カメイズチョイスの2つ目、「なぜバナー広告でヒットを連発できたのか」というところにも今入りかけているとは思うんですけど、そもそも、そういうバナー広告をヒットさせるために注目していたところとか、どうアイデアって思い浮かんでいたんですか?
「4コマ漫画」のバナー広告と、賞が重なった時代
中村洋基ありがとうございます。そうですね。バナー広告をやって、さっきのゲームバナーみたいなのを作った後、もう1個訪れたのが、アワード応募ブームみたいな感じなんですよね。僕、多分さっきのプロフィールで、広告賞をいっぱい取っていますみたいな、300取っていますみたいな。多分300のうち150ぐらいはバナー広告なんですよ。昔はそういう時代があって。リッチメディアバナーっていうのがあって、あとで画面に入らなかったらまた挟めばいいかなと思うんですけど、簡単に言うと、これ。
亀井めちゃくちゃすごい。思い出深い(笑)。
中村洋基「Grip to Drive」って書いてあって、ちょっと英語になっちゃってるんだけど、ほんとに握って運転してくださいよということで、握って、こいつを動かせるぞって動かしてると、なんかガラケーが鳴ってる音が聞こえるぞと。で、何だと思っていると、事故るっていう。で、「運転中の携帯を無視してください」みたいな、AC みたいな公共広告。
平川心すごい。
中村洋基そういうやつです。そういうのを、たくさん連打して作ってきましたと。リッチメディアとか、インタラクティブアドって言われるんですけど、そのバナー広告が単なる看板じゃなくて、自分がマウスを乗っけたりとか、何か動作をすることによって、びっくりするようなハプニング、起承転結の「転」が起きて、最後に1行のコピーで「ああ、そういうことか」みたいなのが起きるっていう、いわゆる起承転結の4コマ漫画みたいなのを、みんながバナー広告を1コマ漫画だと思って作っていた時に、僕一人だけ4コマ漫画を作っちゃっていたので、そうすると「面白いね」って言って、たまたまそれで賞をたくさん取れた時期があったんですよ、国内外で。そこに運よく居合わせたので、それの使い手になったみたいな。なんか分かんないけど、当時は電通さんにいたんですけど、電通さん中のそういうリッチメディアバナーの半分ぐらいは僕が全部作っていて。
インターネット広告の伸びと、運用型広告への変化
平川心その新しいこと、起承転結とかも始めていたからこそ注目されたと思うんですけど、新しいことを思いつくためにどうなっているんですか? その考え方とか、意識されていることとかあるんですかね。
中村洋基周りが良かったですね。亀井さんはなんとなく知っているかもしれないですけど、当時のデジタルの、まだ……もう20年前か、あの立ち上がり期って、もう本当に全員むちゃくちゃで。
亀井混沌としてた。
中村洋基カオスで、とにかくその中でも面白いことを仕掛けるしかないっていう雰囲気が、いい意味であった時代で。確かにその戦略って正しくて、今思うと、今の広告費の、広告メディアの白書とか見ると、全体の中で、例えばテレビって5兆とかだったかな、5兆が6兆になってるぐらいの……ちょっと数字が間違ってたら恐縮ですけど。
亀井年間の広告(費)。
中村洋基予算が、微妙に20年かけてゆっくり上がってるんですけど、インターネットって300倍とかになってるんですよね。当時は300億しかなかったわけですよ。それがもういきなり20年かけて6兆とかにライジングして、テレビを抜いたみたいなことになったんですけど、その当時を考えてみると、どう考えてもテレビの100分の1しかマーケットがなかったから、どんなに頑張ってもこれ以上稼ぐことって無理だった。無理だったんだけど、インターネット広告はこれから来るぞ、どうすればいいっていうところの戦い方の中で言うと、とにかくむちゃくちゃやれと。面白いものを作って、賞を取って、すごいことをやるぜっていうところの……。でも今、そこにいた人たちが、結構今、重役とかで輝いている人たちなんで、結構時代を作っていた人たちがいたなっていう印象ですけどね。
※ 編集部注:電通の推計では、インターネット広告費は1999年が241億円(INTERNET Watch 2000年2月16日)、2000年が590億円で、同じ年のテレビ広告費は2兆793億円(INTERNET Watch 2001年2月16日)。電通「2024年 日本の広告費」では、2024年のインターネット広告費は3兆6,517億円、テレビメディア広告費は1兆7,605億円(総広告費は7兆6,730億円)。インターネット広告費は2019年に2兆1,048億円となり、テレビメディア広告費の1兆8,612億円を上回った(電通「2019年 日本の広告費」)。
亀井僕と同じ時代にインターネット業界にいるんで。なんか僕らは、実力以上のもののカーペットに乗っかってたって感じですよ。
中村洋基そうそうそう。だから、それこそ起業家でもアナロジーはあって、ANRI の佐俣アンリさんとかが言っていたのが、「成功は偏在する」ってやつで。トキワ荘理論みたいな感じで、同じ釜の飯を食ってきた、コワーキングオフィスで一人、二人上場すると、ほかもまとめて上場したり、みんなうまくいったりするみたいなっていうのは、やっぱりその人たちを目の前で見ると、「あいつができるんだったら俺も」みたいな風になって。そういう、いい意味でのトキワ荘とかカーペットみたいなものに勝手に導かれて、よくしてもらったんで。全然自分のおかげでは全くないみたいな、そういう感覚ですよね。
平川心インターネット広告は当時、全然主流ではなかったんですか?
中村洋基主流じゃなかったですね。
亀井2002年とかだと、多分ラジオを超えてるか超えてないかぐらいっすよね。ラジオの広告費を超えてるか超えてないかぐらいで、全然相手にされてなかった気がする。
※ 編集部注:電通「日本の広告費」の推計では、2003年はインターネット広告費1,183億円、ラジオ広告費1,807億円(INTERNET Watch 2004年2月18日)。インターネットがラジオを上回ったのは2004年で、1,814億円とラジオの1,795億円(INTERNET Watch 2005年2月17日)。
中村洋基風向きが変わってきたのは、多分良くも悪くも、運用型広告っていう、いわゆるデジマっていうのが始まりだしたところで。
亀井Google が日本に入ってきた。
※ 編集部注:Google の日本オフィスは2001年9月1日に渋谷で開設(Impress Watch 2021年9月3日)。検索連動型の「アドワーズ広告」は、2002年9月にグーグル株式会社が本格開始を発表した(INTERNET Watch 2002年9月18日)。
中村洋基そうですね。だから20年前はそうじゃなくて、予約型広告っていう、「この時間になったらここにこれを掲出しますからね」っていう。今はもっとそうじゃなくて、複雑なアルゴリズムの中で、今渋谷にいてコーヒー飲みたいなって思ってそうな人にコーヒー屋の広告を届けるってことになってるんですけど、そうじゃなくて、「来週から再来週、Yahoo! のトップページにこれが掲出されます」みたいな、そういう売り方だったんですよ、当時のインターネットの広告っていうのは。そこが変わってきたのが一番の潮流の違いで。なので僕も、昔は単なるバナー野郎だったんですけど、いかにこのクリエイティブを面白くしたり、ちょっとクリック率がまぐれで当たったとしても、デジマには勝てんだろうと。今はデジマが、一番インターネット広告の中で百花繚乱しているところなので。僕も、バナーばっかり作ってても最終的には勝てんなとか思ったきっかけにもなったって感じですね。
計画せずに引き受け、あとで帳尻を合わせる働き方
平川心実際、時代に乗れば上がるってさっきおっしゃっていたんですけど、とはいえ、なんでその発想になったのかなっていうのがすごく気になります。
中村洋基いや、サービス精神と、計画しないでとりあえず突っ込んで……本に書いてある。で、あとでなんとかギリギリ帳尻合わせするというか。だから、さっきの「ゲームバナーを作ります」っていうのも、「これだったらゲームバナー作れたんですけどね」みたいな。「だったら作ってくれよ」って言われた時に、「いやいや、ちょっと言葉のあやで言っただけなんで、本当はそれをやろうとしたら時間もかかっちゃいますし」とかって言ってやらなかったら、そこで終わっていたわけですよね。なので、自分で大風呂敷を広げて、全力ダッシュで……。
亀井ポーンとボールを。
中村洋基投げて、もう全力で拾いに行くっていうのが、僕の基本的なライフ……ライフスタイルじゃないですね、メソッドじゃないですけど、自分なりのやり方で、それを貫いてきたっていうこと以外は、もう周りがすごくいいパスを、環境がいいパスを出してくれたおかげなんじゃないかなと。
亀井ヒット率がすごすぎると思うのは、本当にめちゃくちゃ社内、社内外で認知がいくじゃないですか。そうすると、仕事量とかもとんでもないことになってくるだろうし。そこってどういうふうに……広告代理店にクライアントから「中村洋基でお願いします」みたいなやつ、めちゃくちゃ増えたんでしょ?
中村洋基ああ、そうかもしれないですけどね。いくつかこういうのを見て、こういうクリエイターと一緒にやってみたいみたいな。でも僕は基本的には、そういうふうにオーダーを受けたものは全部受けるっていうふうに教育されてきたというか。お芝居とかやっていた、小劇場時代の貧乏根性で、求められたら全部応えなさいっていう社会教育を受けてきたので、全部受けて。
社員になるまでの5年と、自分で作った「テクニカルディレクター」の名刺
中村洋基もう本当にぶっ倒れるまで……今は絶対ダメですけど、会社に徹夜しまくって。で、「俺にはここしかないんだ」っていうか、社員ですらなかったですからね、その時。その時、社員ですらなかったのに、勝手にそれで賞を取ったら、スタッフリストを見て、勝手に僕のところにインタビューとかが来るんですけど、勝手に受けて。「なんでお前、業務委託なのに」、バイトなのに社員のふりして……ふりしてるわけじゃないんだけど、勝手に(インタビューを受けて)、みたいな感じになってて。「これからはこういうデジタル広告とかがどんどん出てくるかもしれませんね」みたいな感じになってて、そういうのを担う期待の若手みたいな感じだったんですけど、終わった後、「中村さんって社員じゃないんですか?」みたいな(笑)。そう、社員じゃないっていうのは分かっちゃうんですよ。
亀井名刺とかに別に何か書いてないんでしょ?
中村洋基名刺とかに書いてないんだけど、でもあれですよ。それこそ僕、社員になるまでに5年かかったというか。電通さんなんて、電通に限らず大企業って、なかなか普通の業務委託を正社員にできないじゃないですか。そうするとね、「この人がなっていいんだったら、私も私も私も」ってなっちゃうから。なので、結構やっぱり時間もかかったし、それなりに筋を通して、最終的には社員になったんですけど、名刺がない……名刺がなかったりするのと、あとメールアドレスが名前じゃなくて番号だったりして、明らかに違うなっていう感じで。で、これも本に書いたんですけど、ブルーオーシャン戦略っていうのを取って。さっきのインタビューを受けた理由もそうですけど、やっぱり自分がこれからの世の中に必要な人材っていうふうに周りにアピールしたくて。初めに「Web デザイナーなんていらないから、すぐ切るからね」っていうふうに言われたのが……。
亀井聞いてて、めちゃくちゃ……。
中村洋基そうそうそうそう。なんだけど、これからは実は、これからの広告業にはこういうデジタルのクリエイターが必要なんだ、みたいな風にいかに持っていくかっていう時に、Web デザイナーのままじゃダメだ、何か新しい名前が必要だって、いろいろ模索して。そういう賞とかを取り始めてきた時に、海外で賞を取っている人たちは、いろんなジョブタイトルを付けていて、その中で「テクニカルディレクター」っていうのがあって。これだと。「テクニカルディレクター、俺はこれになるんだ」と思って、早速電通さんの総務のところに持っていって、「テクニカルディレクターって名刺を作ってください」って言ったら、「そんな職業は存在しないのでダメです」って言われたんですよ。ほら来たと。ということで、僕がやったのは、名刺を偽造したっていう……。
平川心偽造!?
中村洋基一応本にして、セーフだって言われたんで、もう時効だって言われたんで言ってますけど、もう完全に大企業の名刺を模して、自分でデザインして、印刷の、リスマチックみたいなところに持っていって(笑)。で、「テクニカルディレクター」って書いて、「僕の名刺です」とかって言って渡していたっていう、そういう悪いことをしましたね。そんな、技術……努力の甲斐もあって、もう5年かかりましたね。5年と、広告(賞)を100個ぐらい取って、これだったらほかの人とは違うでしょう、みたいなことになって、やっと社員にしていただいたっていう感じですね。
平川心電通は実際、どのくらい働かれたんですか?
中村洋基10年ですね。10年。
平川心10年間ずっと広告。
中村洋基そう。バイト、業務委託上がりだから、普通の大企業の社員っていろんなところを、いろんな部署を転々とするんですけど、僕はそれが当てはまらなかったんで、ずーっとデジタルクリエイティブ1本。最初は IC 局っていう……当時は IC 局っていうところのクリエイティブの1部署でしかなかったんですね。で、だんだんインターネット広告全体がライジングしていくにつれて、そこが DB 局っていう名前になって、電通デジタルになって。クリエイティブは CDC っていう、クリエイティブの中でもちょっと生え抜きの(ところで)、そこに最終的に配属になった。
※ 編集部注:株式会社電通デジタルの設立は2016年7月1日(電通 2016年4月19日発表)。同じ日にデジタル・ビジネス局は廃止された(アドタイ 2016年6月13日)。中村氏が電通を離れて PARTY を立ち上げた2011年より後のこと。
亀井そこの CDC 出身の人は、結構すごいクリエイターの人たちが、またそこからどんどん出ていくんだけど。
カメイズチョイス3「なぜ電通を辞め PARTY を立ち上げたのか」
平川心実際その後に PARTY を立ち上げられたということで、じゃあここからはカメイズチョイス3ですね。「なぜ電通を辞め、PARTY を立ち上げたのか」について、じっくりお話をお伺いしたいと思います。まず、PARTY ってどんな会社ですか?
中村洋基はい。PARTY の方がもう長くて、2011年に立ち上がって15年なんですけど、一番初めは結構クーデターみたいなノリで作って。要するに、広告代理店とかプロダクションの、他のすごいクリエイターと……要は、その世界で広告賞を取れるってすごい稀有なことで、その時たまたま僕も含めて取りまくっていた人たちが、「やっぱり一緒にやりたいよね。だけどさすがにコンペティター(競合)だから無理だよね」っていうのを、「じゃあ、せーので辞めてやればいいんじゃない」ってことで、「せーの」って言って始めたのが PARTY です。
亀井僕その時、電通に入っていたんで、その(20)11年の時にそのリリースが出て、めちゃくちゃびっくりして。「すげえスーパースター集団が出てきたな」みたいな感じで。マジで。多分その盟友の一人かもしれないけど、幹太さんとか。
中村洋基清水。
亀井清水幹太さん。清水幹太さんも、さっきの肩書きについていたテクニカルディレクターっていうのを肩書きで付けていて、確か。
中村洋基そうですね。
亀井さっき(出てきた)カンヌライオンズに行きたかったんだっていうのとかも、ブログに書いていたりとか。
中村洋基そうなんですよ。でも幹太さんは僕からすると、その中でも一番の天才なんですけどね。まあ、だいたい5人プラス一人、二人、そういう人間を中心にして作ったのが PARTY で。
※ 編集部注:PARTY は2011年6月1日に正式に発足。創業時のメンバーは伊藤直樹・原野守弘・清水幹太・中村洋基・川村真司の5人(アドタイ 2011年5月30日)。清水幹太氏の「テクニカルディレクター」は PARTY 設立前のイメージソース時代の肩書きで、PARTY ではクリエイティブディレクター、CTO を務めた(アドタイ 2013年12月26日)。
亀井あれは、やれたらいいねみたいなやつから形になっていくまでは、1年ぐらい? 半年ぐらい?
中村洋基1年ちょいぐらいですかね。でもその中でも一番初めは、今でも一緒にやっている伊藤直樹っていう男から、こっそり謎の電話が来て、「中村くん、やろうよ。いい話があるんだよ」みたいな。でも、むちゃくちゃ怪しいなみたいな(笑)。でも蓋を開けてみると、すごいエキサイティングなお話で。今もそうですけど、やっぱり受けたことは基本あんまり断りたくないっていうのと、良くも悪くも若者にはありがちな「ここではないどこかへ症候群」みたいなのもあって。このまんま自分が大企業の中で部長になって、次長になって、局長になるみたいな、そういうビジョンも全然つかめなかったし、どちらかというとサービスをやりたかったんですよ、僕。なので、一緒にやった mixi のやつでも、キャンペーンでも広告キャンペーンというか、プラットフォームだと思って作ったんですよね。1個の社会実験じゃないですけど。で、その SNS とかそういうものに憧れていて。さっきのキャンペーンで85万人もいて、当時のインターネットではものすごいブームを起こしたキャンペーンになったけど、普通に横で当時立ち上がった Twitter を見たら、別に500万人いるわけで。やっぱりこう、きちっとサービスを作って、ネットワーク効果とかで広げていくようなものを作りたいな、それってここにいて作れるのかなという思いもあって、とりあえず一回出てみましょう、みたいなこともあって。
※ 編集部注:ホンダが mixi で行ったキャンペーン「Ole! Ole! CR-Z」(2010年2〜3月)の参加は「1ヵ月半で82万人以上」(ダイヤモンド・オンライン 2010年11月3日)。同じころの Twitter の国内の訪問者数は、2010年1月に約473万人、3月に750万人超(ニールセン調べ、パソコンからの利用。INTERNET Watch 2010年2月24日、同 4月28日)。
亀井じゃあもともと PARTY を作っていた時、PARTY ができあがった段階では、サービスを何かやろうっていうのが、ある程度意思を持ってやっていて。クリエイティブディレクターがみんな集まって、多分心ちゃんとかは分かんないかもしれない、TUGBOAT みたいなのができる、みたいな感じじゃなかったんですね。
中村洋基そうですね。世の中で言うと、昔すごい CM プランナーたちが「せーの」で辞めてできあがった TUGBOAT っていう会社のデジタル版、みたいな見え方もしてもらってましたし、95%ぐらいそうなんですけど、僕の中のモチベーションとしては……そうですね、少し、どうやったら、もうちょっと自分のやりたいことっていうか。今思うとね、当時は分からなかったんですよ、井の中の蛙なんで。結果、蓋を開けたら、やっぱりスタートアップがやりたかったんですよ。だけどスタートアップのやり方が分からなかったので、今僕らがちゃんとバリューを出すことができるとすると、「賞を取ります」とか、「すごい面白いぶっ飛んだキャンペーンができます」ということで、PARTY という会社を立ち上げましたと。初年度から結構すげえ売り上げがあったんで。
※ 編集部注:TUGBOAT は1999年7月、電通の同じチーム出身の岡康道・川口清勝・多田琢・麻生哲朗の4人が設立した(アドタイ 2020年8月3日、同 2015年6月26日)。
亀井だと思う。本当にスーパースター集団の集まりだったから、営業しなくても勝手に来るっていう状態も分かって。
中村洋基そうでした。
亀井そうだよね。受けきれないくらい来るだろうなと思ってたし。
PARTY の今の仕事(成田空港第3ターミナル、NewsPicks のスタジオ)と次回予告
平川心実際、どんなことをされたんですか?
中村洋基割と、当時……今では当たり前ですけど、「マス×インタラクティブ」みたいなことを言って、みんなでテレビの地上波を見ながら、スイッチを「せーの」でポチッと押したら、テレビの向こうの装置がバーンってぶっ壊れるとか、そういうような実験的な番組とか、そういうインタラクティブ連動みたいなのが多いですかね。
亀井あと僕、噂で聞いたか本当か分かんないんだけど、一時期まで「電通縛り」みたいなのがあったって聞いたんだけど、それはあった?
中村洋基縛りじゃなくて、全然言っていいと思うんですけど、「競合参加します」みたいな。競合参加をどれぐらいしますっていうところに対して、対価をいくらもらうみたいな、緩い契約でした。多分、ほかのもっと後に電通から独立した、代理店から独立した系のクリエイターは、もっといろんな細かいところがあったと思いますけど。
亀井じゃあ数年間、電通の仕事しか受けちゃいけないとかっていうのはなかった?
中村洋基なかった。資本関係もないし。で、そうやってたんですけど、今はかなり様変わりしていて。やっぱりデジマの影響もあるんですけど、当時ほどぶっ飛んだ広告クリエイティブってのは、そんなに求められていないので、そこのぶっ飛びは空間の方にずらしていって、今、広告と空間が半々ぐらいですね。で、空間は代表の伊藤直樹が中心でやっていて、ざっくり言うと「受注できるチームラボさん」みたいな。テクニカルプロダクションチームもいるので、そういうエンジニアリングと空間とを駆使して。例えば、これはあまりデジタル関係ないですけど、成田空港第3ターミナルの設計デザインがうちです。
平川心そうなんですね。大きな規模ですね。
亀井大きいターミナル。PARTY ですよ。PARTY、そういう仕事するんですよ。天才集団だから。しかも俺、第3ターミナル使って帰ってきたけどね、今回。
中村洋基サイン計画ってやつなんですけど、陸上トラックなんですよね。これ以外にも設計とか、こういうサインとか全部やったんですけど、大きくは陸上トラックで。何かっていうと、第1・第2ターミナルと第3ターミナルがむちゃくちゃ遠いと。LCC 専門の空港なんで安いんですよ。で、予算も安くて、簡単に言うと、動く歩道があるじゃないですか、横型エスカレーターみたいな。あれを作るお金はなかったんで、そこをどうにかしなきゃいけないっていう課題があって。広告クリエイターって、課題解決のことばっかり考えているんですね。課題解決がうまい人たちなんですよ。そこに何か新しい発想を持ってきて、普通の設計施工会社には思いつかないようなアイデアとかで、うまいことソリューションを見いだせると。今回はそれが陸上トラックのゴムのやつで、実は陸上トラックのゴムは世界共通で、サイン計画にもすごい向いていて、世界中(の人が)分かると。で、まあゴムなんで安いと。ということで、これを採用しましょうということになって、グッドデザイン大賞をいただいたりとか。あとは、ユーザベースの、NewsPicks の社屋とかもやっていて。
※ 編集部注:成田空港第3旅客ターミナル(2015年4月開業)は、日建設計・良品計画・PARTY の3社が共同で手がけた(architecturephoto 2015年4月9日)。受けた賞は2015年度のグッドデザイン金賞(Aviation Wire 2015年10月30日)。
平川心社屋のデザインまで。
中村洋基えっとね、ダクトに擬態するデジタルサイネージってのがあって。
亀井この辺の、見えてる金色のやつとか。
中村洋基よくある、打ちっぱなしの、こういうおしゃれなオフィスって、ダクトとかが……。
亀井むき出し。
中村洋基むき出しになってるんですけど、一見ダクトなんですよ。カメレオンみたいに、ダクトの写真をずっと貼ってるんですよ。
亀井テクスチャーで。
中村洋基NewsPicks スタジオなんで、配信とかやってるじゃないですか。その時に情報を映したい時に、ダクトがデジタルサイネージに変わるっていう。これなんでやってるかっていうと、丸の内にあるんですよね、NewsPicks スタジオって。丸の内って景観条例がすごい厳しいんで、外から見えるところにデジタルサイネージを置いちゃダメっていう課題があって、その課題をどうやって解決するっていうことで、「じゃあもうずっと擬態して、ダクトにしとけ」っていうアイデアなんですよ。これで条例が通って。なので実際に、普段はずっとダクトの顔をしていて、撮影とか、いろんなコンテンツを流す必要があるイベントとかの時に(サイネージになる)。
※ 編集部注:話に出ているのは、2022年7月に丸の内へ移ったユーザベースの本社で、設計は PARTY・日建設計・SOLSO(architecturephoto 2023年1月19日)。PARTY は、景観条例の制約が厳しい場所でデジタルサイネージを景観になじませるための仕掛けだと説明している(JDN 2023年3月28日)。
亀井すごい。
平川心焼肉屋さんって多いじゃないですか、こういうむき出しの。
亀井面白さに転用できるかもしれない。
平川心ということで、今回はここまでです。次回も引き続き、中村洋基さんの生き方や今の価値観につながるルーツを紐解いていきたいと思います。それではまた次回お会いしましょう。
亀井亀だけに、亀が選ぶ亀のチョイス。カメイズチョイス!